それはまっさらで。


だからこそ、その蒼い瞳が印象的な。







-雪の降る夜に-













 吐く息が白いことすら気が付かないらしく、寒くて凍えるはずなのに、それでも彼女は外で舞っているものに手を伸ばす。
無心に、ぴんと伸びた腕は細く、女性というよりは少女と言った方がしっくりくる。
何度も何度も手を伸ばして掴んでは手の中を確認するが、しかし当たり前ながらそれは掌に乗るとすぐに消え、負けず白い繊手を露わにしている彼女は、首を傾げる。
何故これは消えてなくなるのかと……。


 彼女がいる建物の背景では、周りに覆い茂る森が暗黙の闇に広がっていた。
木々の隙間から僅かに零れる月明かりがそのシルエットを帯び、その唯一明るい月は、ピエロがニタリと笑ったように、白く映えていた。
照らされた建物はどこまでも涼しい空気が流れ、ひんやりと澄んでいる。
 その建物はお世辞を言わずとも見て取れるほど豪快に作り上げた屋敷。 全体的に古くて色褪せてはいるものの、赤い印象を醸し出すその外見は、西洋の、中世にありそうなものだった。
そのことからして裕福な家庭に育っているのであろうと予想はするものの、しかし部屋に明かりはついておらず人の気配も感じられない。

――今、見えるのはその彼女ただ独りである。


 そんな彼女が雪を見るのは、これで2度目。
2年前は暖かく家族と過ごし、警備士に守られ大勢の使用人に囲まれ、毎日豪華な食事が出されるパーティのようで笑いの絶えないものだったのだが、 実はそれを彼女は覚えていない。何故自分が今独りなのか、そんな事すらも考えていないようだ。
そしてそのことが自然なことであると言うかのように、平然とまた手を伸ばす。何回も何回も、それこそ寒い冬の夜に。
 窓から垂れるほど長い彼女の髪が月明かりに照らされることによって、細く、金色に光るそれが艶やかさを強調し、その度に小さな身体と不釣合いな瞳が、婀娜さを増す。  

 ふいに彼女の暗い背後から、おとなしい足音が聞こえてきた。
彼女はそれもまたいつもと変わらないというようで、全くその音に驚くこともせず、ゆっくりとした動作で後ろを振り向く。



「リア様」

 ぎい、と古めかしい音を立てて、ひっそりと、扉が開いた。
暗いが広いその部屋に入ってきたのは、30代前半といった感じの男だった。
この屋敷にいるには相応しいスーツを身にまとい、黒いサングラスをかけている。
しかし丁重な言葉とは裏腹に、その男の顔は苦虫を噛んだようにとても険しい。

「…雪のために、徹宵するおつもりですか」

 夜の所為なのか寒さの所為なのか分からないが、その男の顔色はとても悪く感じられた。

「……………。」

 彼女は男を見ると、少し申し訳なさそうに俯いた。
その長い金髪で顔はよく見えなかったが、何に申し訳なく思っているのかさえ、 本当は解かっていないはずなんだと男は思う。
今、この二人の間にある沈黙が暗い闇の中で漂っていた。

「……リア…」

 男の眉間がさらに寄ってはいたが、声に怒りはない。
むしろ、愛しむような、穏やかな口調だった。

「リア…。どうして――」

 言葉を紡ぐごとに顔の筋肉が綻んだのか、眉間のしわは消え、しかし逆に哀れむような顔をしてそう言った男は、 そのまま彼女にゆっくり近づきながら続きを言おうとした。
しかし、いちいち重い空気である。
だからなのか、男はそれ以上何も言わなかった。
近づいてくる男に、彼女は微動だにせずただ黙って見つめていた。 男が彼女の前まで行くと、そんな彼女をしばらく見て、眼瞑り、軽く舌打ちをする。

「…もう少し。可能性があればあなたは……」

 一旦躊躇をしたが、くしゃりと頭を撫で、そしてすぐ手を離した。反動で彼女は揺れ、目を瞬く。
男はそれを確認した後くるりと彼女に背を向けた。
その背中が切なそうに小さくなってはいたが、脚は何でもないようにドアに引き寄せられ、また彼女を一人にさせる。
 彼女はというと、男が居なくなった後も暗闇で呆然と立ち尽くしていた。
幾らか時間が経った後また外に向き直り、白を掴もうと手を延ばす。
何事もなかったかのように。
男がいた時間など、なかったかのように。
 手を伸ばし、一生懸命繰り返しの動作をしている彼女がいる時、その窓の下では男が豪勢で大きな玄関から出るところだった。高級そうな黒く厚いコートで身を包み、さらさらと静かに落ちつづける雪をかぶって、歩くたびに錆のような赤銅色の土を足跡と同時に残す。

「……――」

 下で歩く男を見下ろしながら、彼女はぽつりと何かを言った。
だが声が小さすぎて誰も聞こえはしなかった。
そしてその男が歩くたびに軋む雪の音は、しかし不快ではなく、そのままぼやけて消えてしまった。



 同時刻、男が出た古い屋敷のずっと遥か南、幾度となく町と村と大都市を超えた先、 小さな錆びれた村がひっそりと佇んでいた。
冬の凍えるような寒さの中、その村でただ一つ二階建ての木製の家には灯りがぼんやりとついていて、 中で上半身を露わにした19歳の青年と、白い立派なひげを生やした杖付きの老人が、何やら言い争っていた。
  青年の髪と眼は、燃えるような灼熱の赤色をしていた。
顔の左頬も含めて身体の所々に大きな傷があり、古いものと新しいものでいっぱいだった。
右腕には真新しい包帯が巻かれ、少し、血が滲んでいる。
一方的に暴言を吐いているように見えるのは青年だけで、老人は静かに言葉を受け止め、 たまに遮るように手を前に翳してゆっくりと発言するのだった。
しばらくしたら、今まで見えていたはずの青年は、消えていた。
代わりに10歳くらいに見えるだろう少年が外に勢い良く飛び出てきた。
こちらは雪こそ降ってはいなかったが、それでも寒い。深緑色のマントを羽織っているその少年は、 後ろを振り返り家の中で立っている老人に指を指した。
指された老人はそこだけ時間がスローダウンしたかのように、ゆっくりと少年に向かって歩いた。
老人のその手には、怪しい光を放つ赤い宝石のはめ込まれた、重そうなペンダントがあった。
向かい合った瞬間、少年は今までの姿が幻だったかのように消え、気配も消滅した。

「……ふむ」

 残った老人は目前にある湖畔に目をやり、左手を指揮者がそうするように高く上げ、縦横無尽に滑らかに動かし、 ある一定の方向を指し手を止め、右手に持っていたペンダントを湖畔に高く投げ入れた。
老人の指した方向に向かって。闇に飲まれるようにそれはとぷんと溶け込み、金属の重みで沈んでいった。






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