ずんっ





「……っ」
腹の辺りにずっしりとした、重い何かが乗ったような感覚に襲われ、それが現実だったと分かりため息が出た瞬間、 ……痛みが引いた。

「……あー……痛いよ」

 どうせそこにいるのが誰だか分かってる。
否応なくそう返事せざるを得なかったから、肩にかかるボザボザ頭を掻きながらゆっくりと、肘をたて、あたしは上半身を起こす。

「あぁ? 姉ちゃんが起きないからだろが! さっさと下に降りて来いって、母さんが言ってたから!」

 そう言ってあたしとさほど背が変わりない中学2年の弟、由貴(ゆき)は、大きな音を立てながら勝手に箪笥からTシャツを抜き取った。

「ちょっと、それあたしの…」

 自分のものを勝手に使われるのは、あたしも弟のものを勝手に使うから、嫌じゃない。
姉弟で服の貸し借りをするのはまったく不自然じゃないと思ってるし、あたしの持っている服は、 我ながら絶望だけど女の子らしいふわふわしたものなど1着もなくて、どちらかというとカジュアルだから、 由貴の今手にしているものを部活に着ていっても、丁度サイズもぴったりだしまったく違和感がない。
 が、最近部活で帰りが遅くて一言も話す機会がなかったからとりあえず会話を続けるために、我が持ち物だと主張してみた。
だらしなく体ごと由貴に向ける。……そうよ姉のおせっかいよ、話したいのよ。
だってあたしからしてみればまだまだ可愛いサッカー少年。冷たい目を向けられようが可愛いんだから仕方無い!
 ……いつになったら弟離れが出来るんだろうな……。
でもそれに反応せず由貴は

「よだれの跡残ってる。きも」

 顔をしかめ明らかに話を逸らして部屋から出た。

「………」

 一人残されたあたしは、由貴の刺々しい言葉にショックを受けながらもすぐにはベッドから降りない。

「最近の子ってこんななのか…」

 感傷に浸るところからして、やっぱりあたしは弟大好きなんだ。
よく年が近いとつっけんどんだって言うけれど、あたしは全然まだ可愛いと思ってる。
……そういえば、最近って言ってもあたしも「最近の子」になるのか。
まぁいいけど。…あっちはうざがってしょうがないように見えるし。
あーぁ、部屋の中も少し肌寒い。なら外はもっと寒いんだろうな。ま、冬だしねぇ。
 透き通ってる空気と、それゆえにくっきり見える山の帯びが、窓を開けずともそれを物語っていた。
 それで、あぁ、今日も晴れてるなぁって、一人で安心してるのさ。

……さみしっ。

何やってるんだろう、本当。
 でも冬の朝は誰でもベッドから出たくないもので 、あたしもその一人だったりするのだ。
でも確かに時間的にやばい。

「……え、嘘?!」

 壁に掛かってる時計を見るために、首を限界まで上にあげて、いつもより一時間半進んでいる時計にびっくりした。
急がなきゃほんとに遅刻しちゃうじゃん! いや、もうこれは完全に遅刻だ。ベッド整える暇もないよ。

「あー……何も鞄を投げつけることもないでしょうに……あ、痛」

 ぼやき、右肩がコキリと鳴った。今現在、学期末試験が近いせいで、その量に見合った鞄も重い。
その日の授業で使う参考書を毎日学校まで持っていくものだから、右の肩ばかりが痛い。
投げつけた当の本人がいないから、文句言っても仕方無いし鞄重くしたのはあたしだけどね。



―――――――――――


 あたしは高橋舞子。
   身長体重共に一般、偏差値もそれほど高くない、普通の共学高校1年生であり、自分でいうのもなんですが、 別に授業中に発言しないしあまり目立ちません。
活発かつ積極的である由貴(「ゆき」ね)とは全く逆の性格だと思ってます。
唯一特殊なところと言えば、目の色素が薄い青色なところ。
お母さんのお母さん、つまりあたしのお婆ちゃんがイギリス人だから、 すっかりちゃっかり隔世遺伝してしまった訳なのです。
つまり、お母さんがハーフ、あたしと由貴がクォーターということ? あ、いえいえ、クォーターということ、です。
なら弟の由貴もどこかしら何かがあるのかというと 、実はそうじゃなくって、イギリスの血が流れてるとはっきり見た目でわかるのは、あたしだけ。
弟のほうは事実無根、何もないんだ。
そのことについて小学生のころにもめたこともあったけど、 (由貴にしてみれば青い目というのは格好いいらしい。それであたしは他の子と違うのが嫌だった)
由貴ももうどうすることもできないと分かる年頃になって、いやぁ大人になっちゃって……って、そうじゃなくて、 まぁ、今はそんな馬鹿げた喧嘩もなくなった。
 あと親は親でごく普通で、自分がこんなに大人しくなったのは弟が生まれて 、姉としての意識も持つようになったからだろう、とあたしは思ってる。
だって前はすごく好奇心旺盛で、活発極まりない子だったって聞いたから。
それなのにそれが今に至るというのは、普通に、ごく普通に“姉として”が “自分”という存在に変わったからだって 、そんな風に繋げたのね。
あたしにしてみれば当たり前のように苦にはならなかったし、 世間一般に年下の弟妹がいればわずかでもそうなるのは当然だと思うけど。

「おはよーう……」

とん、とん、
と、寝起きで体が重いけどひきずるように階段を下り、 自分のおぼつかない足で体をゆらゆら動かす。
誰も答えてくれないし。
それに寝不足だからかな、体が重いよ。……もしかして体重増えた?
 えぇ……そんな。困ったなぁ。いやそれより、洗面所行かなきゃ。

「顔洗わなきゃ……」

だけどそこへ行く為には左側のリビングに、嫌でも顔を出さなければいけない。

「あ、舞ちゃん。おはよう」

ちらと覗いてみたが、リビングには誰もいなかった。だけどカウンター越しのキッチンに、お母さんがいた。

「お弁当はテーブルの上だからね。ふりかけは、アンパンマン柄だけど」

 にこにこと笑っているお母さんを横目に、もしかしたらパンケーキとか作ってるのかもと少し期待してみたりする。
何せお母さんは、異常なほどにお菓子を毎日毎日毎日毎日作っているから。
バレンタインだけパンケーキやらチョコ菓子をつくるなんていうカワイイ風習はうちにはない。
毎日、だ。おかげでデザートも、朝ごはんもケーキで済ませる。
いつ食べても甘くておいしいから、あたしは好きだけど。だけど太るよねぇ。最近気になってきたよこの食生活。
 すでに洗面所で鏡と睨めっこしているあたしは、 顔をつつんでいる泡の群れを、冷水できっちり洗い流しながらそう考える。
(パティシエ、は、中々良いけど……)
 でもなんか、つまんないなー。普通だよ普通。普通ほどつまらないことなんてないよ。
こう、さ……いきなり魔法使いが出てきて、

『お主は姫なのじゃ。さぁわしと城へ戻るぞー』

とか、 そういう展開ないかなぁ。
姫じゃなくても戦士でもいいや。
だってさ、ほんとにドラ○もんとかの世界が羨ましいと思うから。の○太が羨ましい…。そう思わない?
 ま、アリエナイってことくらい分かってるけど。こんなの睦ちゃんに話したら笑い飛ばされるよ。
“ゲームのやりすぎ”ってね。
 ごく普通に生まれて、普通に育って、普通の、 一般論の考えを持っていてもそれでもあたしはこれまでのようなどこにでもある家庭に生まれ 、朽ちていくのが嫌でしょうがないと、ときどき思う。
毎日平凡の繰り返し、ずっとこんな風に生きるのならばそれは、何て哀しいことなんだろう。

「母さん、俺もう行くわ」

ふと聞こえた弟の声で現実と引き合わされてしまった。お母さんが言った「いってらっしゃい」も聞こえて、 慌てて洗面所を出たけど、由貴はすでに洗面所を通り過ぎ、靴を履くところだった。

「え? 何、ちょっと由貴!」

「んだようっせーな!」

容赦なくガン見ですか。子供だと思って甘くみるのも大概にしとけってかィ。

「……早くない?」

「朝練」

 それだけ言うと、こっちを振り向きもしないで出てった。



「………」

 最近あたしは弟に嫌われてる。その理由は、うすうす感づいてるけど。

「お母さーん……」

 しんと静まった寂しい玄関を見過ごして居間へ戻ると、相変わらずまだ何かやってるお母さん。
よく見るとバターブレッドを作っている最中だった。ピコーンと娘レーダーが直感的に反応する。

「お母さん、朝ご飯は?」

 当たり前のように聞く我が子をみて、母はにっこりと微笑み、

「大丈夫、さっき焼き終わったのがあるから、それ食べて」

 さすがnoと言えない日本人。ていうか多分まずくはないとは思うけど、 あぁ、やっぱり。と肩を落とすあたしをお母さんはこの先もずっと知らずに生きていくんだろう。
いつもこの母は、自分の作ったものを強制的に娘息子に食べさせようとする。美味いのも不味いのも。
自分で味見をすればいいものの娘にやらすなんて、お母さんの悪い癖だなぁ。
もうずっと、毎日がこの調子だからそろそろ朝食にはごはんが食べたくなってきたんだけどな。

「おいしいですよー」

「あら本当? ちょっと隠し味を変えてみたのよー」

 お父さんにも早くあげたいわ、なんてルンルン気分のお母さんは、まだまだ愛するバカップル。

「あ」

そうだった。気になることがあったんだ。

「そういえばね、由貴が最近冷たいんだよね。さっきも聞いたでしょ?」

「うん、そうねぇ」

 お母さんは手を動かしながら答える。

「あんまり会話が弾まないんだ」

まさか反抗期なのか。確かに反抗期って、大体中学か高校に出るみたいだけど……。今が時期だからそうかもしれない。 

「反抗期なのよ」

 ……あたしの心を見透かしたかのようにすぱっと考えを当てるお母さんは分かりきってるね。 ボケボケなところもあるけれど、やっぱりあらゆる面で感心だ。

「……やっぱそうなのかなぁ」

 ちょっとしゃれたお皿にぽんぽんとパンを乗せてるお母さんは、まだそれが終わった後もテキパキと手を動かしている。
あたしはだらしなく、そこに置かれたパンをつまみ食い。

「そういうものでしょ?」

「………んー……」

 由貴にしてみれば、必要以上に話し掛けてくる姉がうざいと思ってるんだろうね。

「ここで食べないの」

 ぺいと手を叩かれた。痛くなかった。んー……。

「あなただって、そうだったんだからね」







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