-最後の世界-








 睦ちゃんとはぎこちない会話に別れ方をしてしまったけれど、もうあたしは、それどころではなくなった。勿論、睦ちゃんは気になる。少し罪悪感のようなものもある。
 けれど、何かおかしいことに巻き込まれたのはもう愕然としていた。

「………」

 あたしは、家に帰るや否や、自室には向かわず直接書斎へ向かった。
つんと匂う新しい本と古びた本が混ざっている書斎。お父さんの、仕事部屋だ。
リビングにあるパソコンを使うのはよそう、と今目の前にある、ちょっと古い形のパソコンにスイッチを入れて、バッグを床に放り投げ、ブレザーを背もたれにかける。

「まさかあたしがこんなものを検索するなんて……」

 なんてぼやきながら、『異世界 魔術』と打った。検索結果はすぐに出た。

「はぁ〜……世の中色々あるもんだなぁ……」





 小一時間程経った後、ドア越しに由貴とお父さんが帰ってきたのが分かった。
今日はお父さん、帰ってくるのが早い。もうちょっと遅くても良かったのに、と心の中で思う。由貴も部活が休みだったのだろうか。それにしては、ちょっと遅かったみたいだけど。
ご飯はー? と聞く由貴にお母さんが何か言っているようだった。聞こえはしなかったけれど、何か料理しているようで、おいしそうな香りがここまで来る。

「それにしても……嘘じゃないのかなぁ……嘘だったら怒るよ……?」

 と、居もしない誰かに呟いてみた。それでどうなるといこともなく、ただのあたしの独り言だけれど。

「……ん? 何だこれ?」

 検索結果を一つずつ調べていくうちに、段々面倒くさくなってくる。本気でこんなものを調べて、どうなるんだっていう話。
が、気になるものを見つけて、クリックしてみた。

「異世界は存在する……?コーツィエレ……とカーリア……ハバタオ……この三国が統一する……一つの世界に私は……文字が小さくて読めな……」 

 と、そんな時に、後ろでいきなり開くドアの音がして。

「舞子、いるんなら顔を見せなさい」

 お父さんか、と、半ば焦って、もう半分は呆れて返事をする。この動揺を知られないように、自分でも良く分からない返答をしながらサイトのページを順に、消していった。

「また制服でうろついて……家に帰ってきたなら、ちゃんと着替えてきなさい」

「はいはーい」

 後ろでは、それに満足したのかしてなかったのか、静かにドアが閉まった。
パソコンの電源を消したあたしはブレザーを取り部屋を出に回転椅子から立ち上がる。
 そして、お父さんがここ使わないなら、もうちょっと調べたかったと思ったけれど、閉じたパソコンを今更開く気も起きず、すごすごと退散しに、肩に重力がめいっぱいかかる鞄を持ち上げた。

「んんっ」

 実は、鞄の中には市立図書館から借りてきた本が5冊入っているのだ。教科書やらと合わせたら、そうとうな重さだった。それでも我慢できたのは、あの子の存在が大きかったからだろう。そう思うと何だか早く会いたくなって、急いで部屋に戻りたくなる。

「よいしょっ。それにしてもさっきのアレ……気になるなぁ」

 好きなんじゃない。好奇心だ。面倒なことは嫌いだけど、好奇心がそれに勝る。それだけ。自分の部屋に入ったあと、どさりと鞄を床に置き、机の引き出しの中にあるだろうペンダントを探す。端でちょこんと収まっているそれは、爽やかに怪しく光っていた。それを中からつまんで持ち上げ、質問する。

「おーい、起きてますかー?」

 返答は無かった。

「ちょいちょい、どうしたの? 何で返事しないの……あのさ、これ、あたしちょっと変人じゃん」

 一人でペンダントに話し掛けているという図は、客観的に見て芸術になる程相当怪しくて可笑しな図だった。きっと見られたらもう、恥ずかしくて穴に入るだろう。
とにかく、反応らしい反応がないから、あたしは叩いたり引っ張ったりする。

「いってぇっ」

「へ?」

「何すんだてめぇっ」

 そうして出てきたその子は、右腕に手を添えながら現れた。

「……痛かったの?」

「痛いも何も……っくそ」

 悪態をつきながら腕を振り回すその子をじっと見ながら、この子とペンダントは繋がってるんだとはっきり理解した。

「感覚はないって言ってたのに……」

「何か言った?」

「や、何も。……ねぇ、気になったんだけど、何でペンダントの精霊なの?」

 前は人間だったということを聞けば、色々と複雑な過去を持っているかもしれない。まだ会って間もないというのに、こんな質問をするとは何てデリカシーのない奴だろう、と自分で自分をそう思ってしまうけれど、聞いてしまったことはしょうがなかった。
だからそのまま動きを止めた男の子の様子を、部屋着に着替えながら見ていたのに、特に怒った風もなく、逆に質問される。

「……ところでお前、何かあったか?」

「え、……何かって?」

「だから、いつもと違うようなことはなかったかって、聞いたんだよ」

「何も。特に変わったことなんて、ない、よ」

 あぁ、またやってしまった。

「……ふぅん? ならいいけど」

 確かに変な人が出てきたけれど。あたしは男の子に疑問の眼差しを向けたが、その子に大して変化もなく、ただ窓の向こうを眺めため息をつくだけだった。

「あ、話をはぐらかした? そうなんだね?」

「そんなんじゃねぇよ。ただ……」

「ただ?」

「…………いや、何もなかったのなら俺の気のせいだ。うん」

「……」

 昨日よりも元気がないように感じられて、あたしは何かを言おうとしたら。

「ちなみにお前って、着やせするタイプなんだねぇ。腹回りに贅肉が」

 ベッドの方へ突き飛ばした。
そして下の階でお母さんから呼ばれたので、あたしは無言で部屋を出た。
あの子は可愛いだけじゃなく、失礼極まりない奴だということが分かったよ。
 リビングに着いた時にはもう晩御飯の用意は出来ていて、あたしは早速食べ、味も分からないままにさっさと終わらせた。ごちそう様を言った後、お皿を片付けて、またじっとこちらを見ているお母さんを無視してすぐ部屋に戻った。

「毎週見てるのに……『野蛮刑事節子』……」

「舞子にしては珍しいな」

「聞いてお父さん。舞ちゃんね、朝もぼーっとしていたのよ。箸を口に咥えたままニュース見ていたし、……本当に見ていたのかも怪しいけど」

「まさか……彼氏が出来たのか?!」

「あら、あの年だもの。いても驚く程じゃないわ」

「い……いや、舞子にはまだ早い。ちょっと、話を……」

「お父さん、ほっときなさいよ。子供はいつか旅立つものよ」

「だ、だがなぁ……」

「隆弘さん!」

「……う、あぁ……まぁ、そうだなぁ……なぁ、由貴……?」

「……………」





「おっと、そうだ」

 なんて言いながら、部屋に戻る前に書斎へ向かう。
あそこにもしかしたら、異世界についての本とか、魔法とか、魔術とか、あるかもしれない。ドアを開く度に匂うこの空気は、いつも慣れないけれど。そう思って本棚の上や中や下や端、横隈なく探すけれど、それらしき物は見つからなかった。このまま探せばヘソクリが出てきそうな雰囲気だ。

「……ま、当たり前、か……」

 小学校の先生であるお父さんが、異世界やら魔法やらの本を持っているわけがない。あるとしたら、
『幼児虐待』だの
『子供心理学』だの
『日常の安全はどこで守られるのか』、だ。だけどこんなの、今は興味ない。

「戻るか……」

 仮にあったとしても、逆に怪しいだろう。そうして階段を上りドアを開け、鞄の重さを確かめる。

「何入ってんの、それ」

 男の子が近付いて聞いてきた。

「本。教科書の他に、図書館で借りてきた……」

 言いながら開け、中の本を取り出す。大きさはまちまちで厚さもまちまち。

「『西洋の魔女狩り』…やっぱ違うよね、これ。魔女じゃないし。これはそうかな……」

 借りた6冊をさらに入念にチェックするけれど、よく分からないからしかめ面をしてしまう。
そんな顔をしながらも、学校で、あの黒フードの人に言われたことを思い出した。

「あ……あのさ、一つ聞いていい?」

 聞くのが、ちょっと……いや、かなり恥ずかしいけれど、笑われてもいいからどうなのか聞きたい。本当だったらと思うと気が落ち着かないし、こんなことって、他にない、特別なことじゃないかと心疼く。これから起こる未来に、期待してしまう。

「何? 一つだけだぜ?」

「あ……あ、あたしって、……姫だったりするの?」

 エコーされた。
心の中で、マイクを使ったように響いた。単語を言う自体、恥ずかしかった……。
だけどそんなあたしの心境など知らないこの子は、目を丸くして驚いている。
何かを言おうと努力しているみたいで、口が開いたり閉じたり忙しない。

「……ひ、姫? 姫って、あのお姫様、とかいう?」

「うん……」

「ぶっ」

「ち、違うよね?! 勿論、そんなことないって分かってるけどー!」

「分かってるならなんで聞くんだよぁっははははは!!」

「そんなに笑うことないでしょー!」

 前言撤回っ笑われてもいいなんて思ったあたしがバカだった……っ!!

「ひ……ひひ、だって……何でいきなりそんな……姫…っ」

「ちょっと、なんか引っ掛かって……だから笑わないでよ! 今のなし! なしっ!」

「はいはいはい。………くくっ」

 腹立つけど本当に恥ずかしい……っ。聞かなきゃ良かった。
怒りながらあたしは、床に広がる本を一冊一冊雑に揃えて、読み始めた。声は聞こえないけれど、男の子は後ろでまだ笑っているようにみえる。それを無視するかのように、恥ずかしさを隠すように、一心にして本を読み、耽る。

「……で、何か分かった? お姫様」

「うるさい。話しかけないで」

「あっはは」

「…………」

 それから30分くらい経っただろうか。

「はぁぁぁ………」

 床にあお向けになり、溜息をついた自分がいる。

「あれ、終了?」

「……。や、馬鹿らしくなって……」

「魔術は馬鹿らしいもんじゃねぇぜ。かなり便利だ」

 場所は選ばなきゃいけねぇがな、と真剣に意味深なことを言う。まじめに言われても、……そりゃ、憧れだけど、ちょっと困る。

「……ていうかさ、旅、するんでしょ?」

 そのまま天井を見ながらあたしは言った。
男の子は、二つある本棚の、右側……背の高いそれに腰掛けていた。ぎりぎり天井に頭が付くか付かないか、その位の空間に。

「もちろん」

「あたし、まだ名前聞いてないんだけど……」

「……そうだったっけなぁ」

 男の子が何も無い空間に目を向けた。

「そうだよ。教えてくれなきゃこれから困るのに」

「俺は困らない。お前の名前、知ってるし、ねぇ」

「あたしが困るんだってば」

「……ん〜、改めて名前を言うってのは、俺にとって勇気のいることだね」

「何で。名前、言うだけじゃん」

 何で勇気がいるのか、あたしにはさっぱり分からない。

「………あーあ、ここはすげぇ平和だなぁ」

「は? 何よいきなり……」

「いぃなぁ……一生ここで住んでみたいもんだねぇ」

「あれ、もしかしてまた話逸らしてるの?」

「で、この世界はどんなのが人気なんだ?」

「……? 何のことを……」

「デザートに決まってるだろうが」

「………」

「何、もしかしてお前、分からねぇの? 人気スイーツ」

「………………」

「……………」

「………………………………………」

「……………………」

「………………………………………………………」

 睨んだ。すると男の子は溜息をついて明らかに面倒くさそうに投げやりに、言葉を発する。

「……あ〜あ、何でそんなに執着するかねぇ。名前なんて、どうでもいいじゃねぇか。ま、いいけど」

 さらにもう一つ溜息交じりにそう言って、足を組み直した。

「俺は、アビネス」

「アビネス……?」

「アビネス・カールフェルト・ヘプケン」

「……へぇー、ほんとに外人さんみたいな名前………アビネ……、え?」

「お!」

「アビネス?」

「心あたりでも?」

「……あ、いや、そうじゃないけど」

 さっき学校であった人たちが探していたのは誰だっただろう。似たような名前だったかもしれない……。

「とりあえず言っておくけど、あっちの世界で俺の名前は呼ばない方がいいからな」

「…………え、何で?」

「何でもだ」

「折角名前聞いたのに……」

「残念だったね」

「……じゃあ、アッ君でいいね」

 そう言った瞬間、アッ君は思い切り顔をしかめた。

「………はぁ? 何だそれ」

「あだ名だよ。名前呼んじゃいけないって、かなり難しいよ」

「ふざけんな、そんなヘンテコな」

「だって名前、駄目なんでしょう?」

「もっとマシなもんがあるだろ」

「例えば?」

「……例えば? ……例えばだなぁ………あー……」

「ないならアッ君で」

「いや、…………あー……」

「ないんでしょ?」

 19歳だと言われても、実感が全然湧かないあたしは、やっぱり子供扱いをしてしまって。でも仕方ない。想像できないんだから。

「ないなら……」

「わーったよ。別にいいってそれで。その代わり」

「その代わり?」

「旅をする時は、俺の言うことを聞くこと! お前は憑き人なんだから、な」

 忠告するように、念を押すように言われた。

「いいよ、旅するってだけでワクワクするっ」

 考えるだけで嬉しいと思う。旅って響きが、すごくあたしをときめかせる。その言葉がどういうことなのか、慎重に考えもしないで、頷く。







 だけど、そう思ったのは束の間で。
お風呂に行こうと部屋を出たら、リビングで、家族が全員止まっていた。
揺すっても動かない。窓から見える、犬の散歩中の人も、止まっている。時計の針も、止まっていた。
 あたしは急いで部屋に戻った。

「アッ君っ! どうなってるの?」

「時間が止まったな」

 すでに把握したように、落ち着いた調子でそう言った。

「分かってるよ。……また……」

 あたしが言った後、アッ君はそれに反応したようにこちらを見た。

「……。やっぱりな」

「何がやっぱりなの?」

 真剣な顔つきで、アッ君は話し続けた。

「お前、またって言ったろ。てことは前も時間が止まったことがあったってことだよな?」

「あ、……うん」

「何も無かったって、嘘ついたな」

「う、ごめん」

「それっていつだ?」

「………夕方頃」

「その時、丁度俺も魔力の気配がしたんだ。確信じゃあなかったが……」

「気配……わかるの?」

「残念ながら魔族じゃないんで、そこまではっきりと分かる訳じゃねぇけど」

「でも……」

 それはきっと、すごいことなんじゃないか……と思う。素人がどうすることもできない問題だけれど。

「誰かが細工したか。………王族魔術師か…?」

「魔術師っ?!」

「何興奮してんだよ」

 いつも通りの呆れた溜息をついたアッ君は、一呼吸おいてから部屋全体を見回した。

「さて。もともと俺は人間だったし……って、昨日も言ったな。今は混血精霊だ。魔族としての力を発揮させるには、憑き人が必要なんだよ」

「いきなり何の話かと思ったら……なんか幽霊みたいだねぇ」

「そして、俺の姿がおまえにしか見えないのは、おまえが俺の憑き人だからだ」

「へぇ……って、えっ? ……あ、さっき言ってたよね?」

「このままお前がここにいてもこの世界は動かないから無意味だし、俺は戻るにはおまえが必要。強制的に答えは見つかった。いくぞ」

 アッ君が本棚から降りて、部屋を出ようとする。それを引きとめようと、話の具体性が分からないあたしは思わず肩を掴む。

「え? ちょっと、待ってよ。どこに?」

「はぁ? まだわかんねぇのか。俺の世界だよ」

「な、なん……」

「言っただろ、ここにいてもおまえは何もできない。あっちで解決することなんだ。俺の戻る理由がなくても結局行くしかねぇんだよお前は」

「理由って、あるの?」

「あるからずっと戻りたいっつってんじゃねぇか」








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