-再会-








 空は灰色だった。
 今までの夕焼けが、嘘のようだ。
 寒い風が一層冷たく肌に突き刺さる。
そうして、目前にいる大男からいきなり話し掛けられた。
見た目のままの、冷静そうな低い声で、静かなのに、圧倒される言い方で。そんな言い方をするから、声が、……つまるじゃないか。


――言葉を理解できるか――

「……ぉっ……じゃない、えと……」

「…………」

「……分かり、ます……けど」

 とりあえず恐る恐る質問に答えるあたしの声は、自分でも分かるくらい、小さく震えていた。怖いと思った。相変わらず睦ちゃんは動かないし、というか、停止しているのだし。しかもあたしは、腕を掴まれたままだから。

「ならば聞く。貴様……何故動ける」

「はい。……ん? え?」

 ちょっとどころではなくかなり動揺していたあたしは、先に相手の言葉を飲み込むより早く肯定してしまい、聞き直す。

「あ、あの、動ける…………と、いうのは……?」

 すると男は何かに納得したらしく、口を歪めて嫌らしく笑った。

「……ふん。少なくとも関係はありそうだな」

「ははは……って、え? ……いや、さっぱり分からないんですけど」

 へらっと笑う。それしかない、だなこれは。何だか掴まれた腕が痛いよ、すごく。
すると大男はそれまでの笑みを消して、真剣な表情になった。何か、どことなく、答えなければいけないような、そんな威厳で特異なオーラにあたしも包まれる。

「……あいつはどこだ」

「……あ……あい……つ?」

「とぼけるな。アビネスはどこだと聞いている」

「……アビ……って誰ですか?」

 大男はそれに機嫌を悪くしたのか、怒りで瞠目し、紫色の眼が度々赤くなる。その奥の瞳孔も開き、じっと目を離せないでいるあたしの顔が、そこから見える。自分でも驚いているけれど、あたしにはとてつもなく大きな恐怖よりも、ごく小さな好奇心の方が自らを支配していた。
 だからかもしれない。目を瞑れない。

「能力もなにもない人間風情がっ。貴様がアビネスとすでに関わっていることは承知済みなのだ!」

腕がぐっと上に引っ張られ、痛みが増す。

「いっ……、だって……ほんとに分からない……んですよ……」

「あくまでも言わぬつもりか!」

 と、そこで。

 ……淡々として風が止み、冷たさに慣れた足がふわりと暖かく感じた。が、これは錯覚。ただの思い込み。それだけ。だからといってほっとしたとか、そんなものはなく、ただ暖かいと感じただけ。例えば、寒い日に急に、外から暖かい家の中へ入ったような感覚。じわりと暖かくなる、事実の例えでなくそう錯覚してしまうだけの暖かさ。あぁ、頭がおかしいだけなのかもしれないが。

「一人で突っ走るんじゃないよ、ノート」

 この狭い非常階段に、よくもまぁ人が来る。睦ちゃんも入れて、これで4人じゃないか……そうそう、4人じゃ……。

「……え?」

「やあ。また会いましたね」

 その人は聞いたことのある声を発した。男か女か分からない、澄み切った声。あたしと同じくらいか、若しくは少し高い背で、大男と同じ服装で、フードも被っているから眼は見えない。でも笑っていて、唇は……あたしを裏切った、ルージュを塗ったような蘇芳色。

「……あ」

………よく出てくる……あの夢の人だ。

「フィナシリューゼ戒師?!」

 その人を見た途端大男はあたしの腕を離し、驚いた。離された腕に血が通ったみたいで、じんじん熱い。

「なっ……何故このようなところへ……っぐぅ……っ!」

 一瞬。

 目に見えない速度で、あたしと然程変わらないその人は、大男を斬るように腕で空中を真横に切った。コートが風で靡く。話を遮られた大男は、お腹を抱え、額がじんわり汗ばんでいる。

「もう事は済んだ。戻れ」

「………っしかし……!」

「この方が誰なのかよく知っているはず。それとも……その事について不服だと言うのか……?」

 高くもなく低いわけでもないその声で、それでもトーンを落として言うその人は、後ろから見ても分かるくらい、………笑っていた。声に出すこともなく、声に含ませて。

「…………そんなことは……」

「後に君は罰する。下がれ」

 大男を制するこの人は、あぁやっぱり、夢を見て思ったとおり、やっぱり党首……なんだろう。党首なのか、棟梁なのか、ボンなのかボスなのかは、分からないけれど。

「……は。………っ」

 そう言って大男はあたしを忌々しげに見、惜しむように、消えた。

「…………」

 後ろ姿だけではどんな表情なのかは分からなかったけれど、声の調子で真面目な話をしていたのは分かる。それだけだけれど。大男が消えるのに、少なからずあたしは驚いた。
 でもそれよりも、消える瞬間合った眼の色が赤黒かったのに、恐怖した。
あたしが黙っていたら、フィナシリューゼ戒師と呼ばれたその人はこちらを向き、さっきと打って変わった笑顔で話しかけてきた。目深に被っていたフードをはずし、柔らかそうな薄茶色の、肩で切り揃えた髪が、冷たい風でふわりと靡く。それに、またびっくりする。目は瞑っていた。でも、年齢があたしと然程変わらないと思った。姿を見ても、中性的で、それでもやっと、男の人だと分かる。

「二人で話すのは、これで二度目ですね」

「はい………」

 二度目……と言っても、そう言える程ではない。あたしはおずおずと、掠れた声で答えた。幸せそうに笑うその人は、丁寧な口調で言った。空はまた、紅い光が差し始める。

「この逢魔が時に……部下がご無礼をいたし失礼しました。」

「えっ……あ、いえ」

「今後このようなことはないようにいたしますので、どうかお許しを下さい」

 深く頭を下げられる経験は、あたしにはなかった。だからこそ、このように、謝られると、どうすればいいのか分からないのが本音だ。しかも、大男が消えたからと言っても、まだ睦ちゃんやグラウンドの人影は全く動かないわけで。

「あなたご自身はまだ気がついておられないようですが、近々あなたと接触したもののおかげで、今世界が狂いはじめています……いえ、すでに狂い始めました」

 その人は、俯き加減に、ゆっくりと話し始めた。フードを取ったからか、前よりも恐怖感というものは無かった。

「……それは、わたしの世界だけでなく、あなたの世界も同様に」

「あの………」

「何でしょう」

「と、とりあえず……顔を上げて下さい……」

 あぁ、と気付いたように顔を上げたその人は、やはりまだ目を瞑ったままだった。だけど笑顔のままで。

「失礼」

「あと、あの……」

「えぇ、何ですか?」

「あなたは、………誰なんですか……」

「………………」

 冷たい空気がさらに冷たく、夕焼けから夜へと変貌する……その最中、セリフを聞いた途端に、中性的な姿をしたその人は、中性的な形の唇から笑みを堕とし、瞼を開ける。朗らかとした感じのものはもうなくて、鋭い紫色の眼が、あたしを射抜いた。

「……………」

 夢で見たときと同じ色に雰囲気。あまりに見すぎると、……吸い込まれそうになるそんな感覚。あたしはふと視線を外し、その人の口元を見た。その蘇芳色の唇が、開き、動く。

「………今は」

「知らなくてもいいことです」

「………あの……」

「いいんですよ」

「………でも」

「高橋舞子様」

「!」

「……今、あなたは何故私があなたの名前を知っているのか、それに驚いたと思いますが、………そうでしょう?」

 そりゃ、そうだ。ここで聞き返してくる意図が分からない。どこかから、情報でも漏れたのか。でも、この人は多分、いや、きっと、絶対、あの子と同じ世界から来た人……だ。知っていても、もしかしたらおかしくはない。……あれ、でもあの子は……最初あたしの名前を知らなかった……。

「私は、何でも知っています。立場上、そのようになっています。ですからあなたのことも、知っています。両親の事も……ここで停止している、睦さんの事も」

「………」

教えてくれないことに対してじゃなく、その人の言い方に、少し、ショックを受けた。

「私は何でも知っています。しかしそれで、今あなたに言う言葉、情報は……何もありません。教えることは何もないのです。あなたは……」

「まだ知らなくていいことなんです」

「……………………」

 別に……仲良くしたいなんて思っていなかったけれど、突き放された気がして……、しかも、それがずっと何なのか気になっていた夢に出てくる張本人からだから、尚更痛い。

「……ですが、いつか知ることになりますよ」

「……え? ……それってどういう……」

 笑っていた。
いつの間にか視線を落としていたあたしがまた見上げると、その人は、朗らかに微笑んでいた。意外だった。強張った筋肉が解れた気がして、でもこの人の本質が未だによく分からなくて、複雑な思いだけがする。 

「えと……」

「--……では、また会うことを楽しみにしていますね。……姫様」

「ひ、姫っ?!」

 一呼吸終えてからそう言うや否や、ドロンとでも聞こえてきそうな程な風が巻き上がり、さっきの大男と同じように、消えた。

「なに……何て言ったの、今……」

 そうしてあたしが突っ立っているだけの非常階段からは、いつもの風景が戻ってきた。空気に少し暖かみが出てきて、グラウンドからは賑やかな声、声、声。そして――

「……舞子? どうした?」

「睦ちゃん?!」

「何? いきなり大声出して」

「何って……動けるようになったんだね?」

「はぁ? ……おーい、どうしたんだー?」

「おーいって……。あ」

 あぁそうか。と、あたしは納得した。睦ちゃんには、見えていなかった。停止させられていたから、今までの会話も、聞こえていなかった。だから……だから、こういう反応……なんだ。
 ということは、もしや動けたのは、……あれ、あたしだけ?

「ほんと、大丈夫かぁー?」

「……うん、はいはい、分かった……そういうこと……」

「おいこら」

 睦ちゃんは呆れたらしく、さらに訳が分からないとでも言うように、眉間にしわ寄せた。まぁそうだろう。いきなり相手が何かに納得したとか、勝手に話を進めていたとか、はっきり言って変な人だ。変人だ。この場合、あたしが変人だ。

「よし睦ちゃん、帰ろう」

 そう言って、立ち上がった。そんなあたしに睦ちゃんは目を丸くする。 

「え、まだ話聞き終わってな……」

「いいからっ……」

 今はもう、ここにいたくない。その一心で睦ちゃんの言葉を遮った。

「………別にいいけどさ。……なんか今日の舞子、すっごい強引じゃない?」

「………」

 頭がこんがらがって、何が何だか分からないだけ。……そんな状態の時に、暢気におしゃべりなんて、不器用なあたしには出来ない。絶対、集中できない。
集中なんて言う言い方はおかしいかもしれないけれど、でもちゃんと向かい合って話し合えないから。他愛のない会話でも、それでも、多分今のままでは聞く耳持てない。

「えー、無視ですかぁ? 舞子さーん」

「ごめん睦ちゃん。ちょっと、気分悪いんだ」

「………木下のことで怒ったの?」

「え?」

 あぁ、そうだった。木下君………。

「違うよ。違くて……あれ」  少し気がほぐれて……睦ちゃんの顔がいつもらしくないから、おかしかった。こんな、自分勝手な行動、睦ちゃんは怒らないのか。そう思って。
 --でも。話しながら、早歩きで学校を出て電車に乗り……たまに無言になったりした帰り道に。地元の家からそう遠くない、寧ろ通学路に。

「……あれ?」

「どした? 舞」

「ここ……こんなに木が生えてたっけ?」

 そう言って、見覚えのない雑木林ー森と言ってもいいくらい茂っているーを見て、不思議に思った。でも睦ちゃんを振り返ったら、あたしに負けないくらい怪訝な顔をしている。

「いつも通ってる道じゃない。覚えてないの?」

「え……――」

「もうずっと、こんな感じじゃない。自然保護……なんちゃって」

 冗談を言って笑う睦ちゃんが、初めて自分の幼馴染ではないような気がしてきた。あたしがオカシイ……の?

「舞、あんた本当に……、最近おかしいんじゃない?」

「……………うん」

「自分でも……そう思う――」

 あぁ、もしかして……もしかしなくても、やっぱりあたしが変なんだな。確かに森はなかったはずなのに。もしかしたらあったかもしれないと、そう思えてくる。

 






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