-変化-








 暖房がついているにも関わらず、まったく暖まらない視聴覚室での授業中、 怒鳴るばかりのジャージの先生は、長ったらしい何かの解説をくどくど吐いていた。 来週から試験があるということで、少し、生徒以上に張り切って熱っぽくしゃべっている先生は 、いつもなら耳がいらつくのに今日はそんなことがない。
というのも教室に入ったとたんに木下君と目があったからだ。昨日の学校帰りの記憶が一気に脳裏に浮かんだ。 あたしは、それまでずっと、そのことを忘れていて、目が合ったとたんから、不安になった。

「………」

 隣にいる睦ちゃんは寝ている。当たり前の光景。あぁもう、この子はいいやと、あたしは頬杖をする。

「………はぁ」

 あたしは息を深く吐いて前を見る。先生の方じゃなくて、前方に座っている木下君を見る。 後ろ姿を見ても特にときめきは覚えない。忘れて、しかも付き合えないことに申し訳ないと思いつつ、 それよりもあたしを占めていたのは例の赤毛の男の子。どこの世界から来たのだろうか。どうやって来たのだろうか。 元は人間だったとは、いったいどういうことなのだろうか、と、あれこれ考えてしまう。 そんな自分に、また馬鹿な奴だと呆れる自分もいたりする。
 そうこう考えているうちにチャイムは鳴り、授業は終わってしまった。先生は満足そうな顔をしていたけど、 あたしの手元にあるプリントは白いままだった。

「美咲、ごめん。……あとでプリント見せてくれない?」

 と左隣に聞いて、快く見せてくれるのに感謝はしたけれど、視聴覚室で後ろの方に座っている 睦ちゃんと美咲とあたしは、その後ろのドアに向かうクラスメートの中にいた木下君とまた、目が合った。

「……あっ」

 乾いた音を出したシャーペンを美咲がそう洩らして拾おうとする。

「………あれ? どこ行ったの?」

 あぁシャーペンが家出した、と美咲が冗談を言いながら探す。黒いストレートの髪が、床に着いてしまうんじゃないかと、 あたしは何気ないことを思いながら机の下に頭を潜り込ませ一緒に探した。勿論睦ちゃんはまだ寝てる。

「はいよっと」

それを見た木下君は、通りがてらシャーペンを見つけたらしくそれを拾って、軽快に美咲に渡した。 ごく普通の動作だと思ったけれども、美咲は目を丸くして慌てた。

「きっ木下君……っ、ありがとう」

 そういう美咲の顔は仄かに赤く、睦ちゃんはもしかして美咲は木下が好きなのか? と 、隣のあたしにしか聞こえない小声でひやかす。

「……ん? いつの間に起きたの?」

「とっくの昔に起きてましたよ」

「なら一緒に探してくれれば良かったのに」  苦笑まじりにそう言って、睦ちゃんは申し訳なさそうにごめんと言った 。だけどあまり気にしていないらしい。こちらも、あまり気にしていないけど。

「…………」

 木下君は何も言わず美咲も見ず、シャーペンを渡してさっさと行ってしまった。

「……美咲、もしかしてさ、……好きだったり?」

 睦ちゃんがさっきの疑問を本人にやんわりぶつけた。

「えっ、そんな事……」

「睦様が見る限り、そんな事ないでもないようだけどねぇ?」

 睦ちゃんの目が光った……。ようやく人が少なくなって、あたし達3人も椅子から立ち上がる。 先生も近づいてくる。

「美・咲、どうなの?」

 教科書らを持って廊下で睦ちゃんが追及すると、美咲が真っ赤な顔で小さく頷いた。

「……でもあの人、すごいモテモテだし……」

「美咲! いくらモテモテな奴だとしても、それは関係ないぞ。少しでもアピールするんだっ」

 応援するよと睦ちゃんは言い、あたしも同感した。そうだ。木下君には清楚な美人がお似合いだと思うし。 好きだと思えないあたしよりも、こんな近くに木下君を想ってる子がいるんだから。 昨日は、告白されたという事に舞い上がっちゃっただけなんだから。冷静に考えれば、そうなんだ。 
 結局あたしは木下君と例の件を話す機会がないまま、帰りのHRを迎えた。起立、礼、と委員長が言った後、 掃除当番の班が作業をのろのろと始めた。その中には木下君もいる。教室がざわめく中、木下君と目が合った。

「………」

 瞬間あたしは恥ずかしさ故、逸らしてしまったけど、今度こそ、ちゃんと返事を言うため向き合った。 意を決してあたしは……――



「木下―。今日校庭使えないから外走らされるみたいだぜー」



「おう……そっか」

 タイミング悪く廊下から部活の人が入ってきてしまった。これまた背が高く、目立つ角刈り金髪の人。 多分、同じ学年だと思うけど、名前は分からない。

「それで先生が呼んでるー。早く来いってば。おいー」

 その人は口が開いたままのあたしを見て取り込み中悪いねぇとか言いながら、 その人は木下君の腕を強引に引っ張って教室から出てしまった。 またも気まずい雰囲気に気まずい別れ方をしたあたし達。ふう、と心なしか軽い溜息が出た。
 その様子を睦ちゃんが見ていたらしく、木下君が教室から出た後あたしの腕を引っ張り興味深げに問う。

「珍しいね。……何かあったの?」

 朝とは違い、恋バナ感覚で聞く睦ちゃんに話したい衝動にかられたけど 、近くに美咲がいたからここでは遠慮する。多分、美咲も木下君とあたしが何か話そうと したのに気付いたんだと思う。顔は見えないけれど、意識はこちらに向いているような感じがする。

「ここじゃちょっと……あ、でも部活あるんだよね、今日」

 しどろもどろしているあたしに睦ちゃんはあっさりと即答した。

「いんや、サボるから」

 そう言い、屋上と非常階段どっちがいい? と聞いてくる。
多分話を聞くのに適した場所を聞いているんだ。……睦ちゃんはそうだ。そういう人間だった。 思わず笑いがこみ上げてくる。













「で?」

 旧校舎の、最上階の非常階段に通ずる重い扉を音を立てて開け、階段に二人並んで座った時の風の心地良さ。 冷たいけれど、身体は一気に階段を駆け上がったので火照っていて、むしろ丁度いい。睦ちゃんは右側、あ たしは左側。聞いた本人は顔を真正面に向け、地平線の遥か彼方を遠い目で眺めていた。
あたしは少し仰いで鳥の鳴く方を向き、少し面倒臭くなっていた。

「どこから話せばいいのやら」

「さっき、木下と話をしていたのは何故か! とか!」

「……話せば長くなる話ですけど」

「なら最初から聞いて差し上げるわ」

 語尾がおかしくなった睦ちゃんはまだ正面を見たままで、会話を楽しんでいるようだった。 そういえば最近話す機会がなくてメールもろくにしていない。会えるのは登校時と共通授業の時だけだ。 同じクラスだからといって、いつも学校で会えるわけではなかった。 面倒臭い気持ちと打ち明けられる嬉しさが半分ずつ、あたしの中にあった。 何の隠しもしないで、昨日の放課後からの出来事を話す。

「……あ〜ぁ。朝これを言いたかったのね!」

「うん…………え?」

「ほら、朝すごい深刻な顔してたじゃん。眉間に皺よせて、恐ろしい形相で」

 ……そんなに恐ろしかったのか、あたしの顔……あれ、これ朝も思った気が……?

「あの時何か言いたそうにしてた……というか、何か聞いたよね? あたしに」

「……あ、でもそれは」

 ………違う。本当はその時木下君の事を忘れていたんだ。あたしは昨日の夜のことを、あの男の子の事を言おうとした。 異世界を、魔法を、睦ちゃんは真面目に受け止めてくれるだろうか、悩んだ。悩みながら、 正直どうしてこんなに悩んでいるのかも考えていた。

考えて、

考えて、

考えて、

考えて考えて








………………………………………………あぁ、睦ちゃんとあたしは…………


元々意見が合わない者同士だったんだ。

「……ん〜? 舞〜?」

 睦ちゃんは、この人は、幼稚園の頃から、あたしの話を、真剣に聞いていなかった 。だからあたしは無意識的に、気楽だったり、自分で解決できる事しか睦ちゃんに言わなかった。本 気の相談を一度もしなかった。今、あたしは、申し訳ないくらい、睦ちゃんを、冷めた目で見てしまうかもしれない。
そう思うと、目を合わせられなくなった。呼びかけにも応えたい。でも応えられなくなった。 気付いてしまった。冷めた気持ちでしかなかった。

「……うん……そうだったんだよねぇ……」

 あたしは、どうしようもないくらい今この瞬間を恨んでしまった。 そしてあたしのボヤキが睦ちゃんの質問に対する答えとみた本人は、 あ、やっぱり〜と軽く言って初めてこっちを見る。

「で、どうなのよ」

 なおもニコニコと笑っているこの人を直視できなくて、言葉が無意識に濁る。

「断ろうかな……って………思ってる、よ」

「美咲が木下好きだから?」

「違う。それは、関係ないじゃない」

「じゃ、好きじゃないの?」

「なんか………そんなに好きでもないっていうか、友達としては全然平気なんだけど、話 したこともそんなにないし……」

「舞〜、でもね付き合ってから好きになることもあるんだよ?」

「……あたしはないよ」

 昨日散々悩んだ結果だ。「睦ちゃん師匠に聞こう」なんて考えていたこの間の自分は、 今のあたしの中には探してももうみつからない。睦ちゃんの意見、どう考えても、あたしにはそれが出来ない。 付き合ったとしても、木下君を傷つけるには、それこそ時間の問題なんだ。
それに多分、罪悪感を感じてちゃんと笑えない。

「この際さ、付き合っちゃいなよ。木下、結構モテるんだから」

 どこで仕入れた情報なんだろうか。確かに、カッコイイとは思うけど。 だけど気付いてしまったからなのか、睦ちゃんの言葉にいちいちイライラしてしまう。 「舞〜」も「付き合っちゃいなよ」も、「結構モテるんだから」も、 何もかもに刺激的要素が含まれているんじゃないかと思えるくらい、頭に直接響いた。

「でもいやだ」

「………え」

 これまであまりはっきりと言ったことがなかったからか、あたしのこの言葉に睦ちゃん は少し驚いたような顔をして…………………………………………………止まった。





……………………………ん?



………………………………………………あれ。




「………睦ちゃん? ……………おーい、睦ちゃーん」

機械が電池切れしたように、心臓が止まったように、目を見開いて、驚いた顔をしたまま、 睦ちゃんは動かなくなった。目の前で手を振ってみても、まるでロウ人形のように反応は全くない。

「……え…………………何で」

立ち上がって周りを見回すと、グランドで部活中の何人もの人も、目をよく凝らしてみたら動いていない。 ただの棒のように立ったまんまだったり、座っていたり、それが人間の形だから尚更気持ち悪い。
さっきまでここには赤い日差しが差し込んでいていたのに、また曇りだした空の色で暗く変化する。

「……あっ」

 ここは最上階の非常階段。
睦ちゃんと二人しかいない。にも関わらず、いきなり腕を掴まれ、思わず声が出た。 かなり強い力で引かれたからだ。睦ちゃんは視線の下で微動だにしない。 後ろを見たらそこには、大きな人がいた。いや、大きな人、だけど、普通の人じゃなかった。 首が仰け反るくらいの身長で、全身を黒のコートで覆い、黒いフードを目深に被り 、だけどこちらの方が背が低いから見下される格好なもんで、フードに隠れている凄味ある紫色の眼があたしを射る。
見られた瞬間、背筋が凍った。

「……………」

 あたしが何も話せないでいると、その大きな男は何かを発した。

「………?」

 だけど外国人(まぁこんなに背が高い日本人は普通いないだろうしなぁ……) なのかその人がしゃべった言葉はあたしには分からなかった。
暫くしてそれを察したのか、その人は妙に大声で何かを口走りながらもう一方の腕を高く上げる。

「……っ!」

 ……迂闊にもびびってしまった。

「言葉は理解できるか」








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