-学校-








 2月に入ったばかりの朝は、相変わらず空気は澄んでいて、冷たい。この季節は窓を開けずとも分かる。

「ん〜〜〜〜〜〜っ」 

 寒さに負けじと背伸びをしてベランダに目をやり、あたしは昨日のことを思い出した。

「……あ、外に出しちゃったんだ……」

 我ながら酷なことをしたなと気まずく思い、そういえば寒さは感じないんだったと、気付く。 とりあえず、カラスか何かに取られるといろんな意味でまずいので、部屋にいれて机の引き出しの中にしまおう。 自分を勇気付けて掛け布団を自身とひき剥がし、ベランダに向かった。

「……さむっ」

 外は予想以上に寒く、思わず身が縮んだ。ガラス戸に触った指が、内外の温度差によって出来た水滴で濡れた。 すぐにそれから指を離し一方の手で覆い、空を見上げて今日は曇りか、と、なんとなく思う。 いつも寝坊するあたしがする行為としては違和感丸出しだとも思ったけれど、 どうしてかなんて考えても仕方がないので頭から拭い去る。
勿論そこに男の子はいない。在るのは足元の、淡く青い光に包まれ赤い宝石の嵌められたペンダントただ一つだ。 もうすでに、あたしは昨日の出来事が空事のように思えてきている。あれだけ奇天烈だったのに、記憶が薄らいでいる。 それでも事実だと言わざるを得ないのはここに、あたしの足元に、ペンダントがあるからだ。 他人には視得ない光を放つペンダントが……。

「うわっ」

 ぐっと重みのあるペンダントを持ち上げた時に、いきなり男の子がすっと唐突に上へ上がって出てきた。 あたしが驚いたと同時に、それが音もなく地に下りて後からゴツ、と下で鳴る。 一瞬で現れた鮮やかな髪と目を持つその子は、いくら空気の読めない大人が見ても分かる程不機嫌で 、髪を優雅に揺らしながら緘口していた。

「……お、はよう、ございます……」

 思わず、反射的に挨拶してしまう。

「……おい……落とすんじゃねぇよ」

「あ、ご、ごめん……。びっくりして……」

「……」

 どうもこの子とは気が合いそうにないなぁと思う。この後の沈黙が何よりの証拠だ。 怒ってるように見えるのは……まぁ、外に放り出しちゃったし、ねぇ……。原因は、それだと思う……。
あたしは昨日のことを思い出しながら、その子をちらちらと見た。

「……あのさ、そこにいるのもなんだしさ、と、りあえずさ、引出しの中に、入っててみない?」

 直接、言ってみた。言ってからしまったと思った。

「ぁあ?」

 あぁやっぱりガン見だよ由貴と同じだよ怒ってるよと心の中で悔いながら、言い方がまずかったなとも思いながら 、言葉を続ける。すでにペンダントは拾い終え、ガラス戸の鍵も掛けた部屋の中だ。

「……今日学校あるし、持ってく訳にいかないし、……着替えるし」

「いいじゃねぇか。減るもんじゃなし」

「でも気になるから! 君が子供だとしても!」

 昨日のこともあったし……と思い出して顔が少し赤くなる。

「子供? 俺が?」

「ぅげ」

「……げ?」

 そういえばこの子が変なことをいってたのをあたしはすっかり忘れていた。あたしよりも年上だとか何とか、 あり得ないことを。見るからに、どう見ても……いや、精霊なんて非現実的 (この子にとっては現実で、あたしが無知なだけらしいけど、いや、もしかしたらそうかもしれないんだけれど) なことがあるんだ。名探偵コ〇ンだって、見た目は子供、頭脳は大人なわけだし、事実かもしれない。
 ……なぁんてすぐに丸め込まれる性格だからそんな事を思っちゃうのだけど、ね。 とにかく子供の多い環境に育つあたしの総合データによると不機嫌っ子がさらに不機嫌になると暴力にでるか泣くか叫 ぶかなんだから。この子は間違いなく殴るだろう、と、馬鹿みたくつらつら言ったけど「げ」 の一瞬前にこんなことを考えたのです。

「あ、いや、その……ね」

「………何言ってんの?」

「……」

「……ま、別にお前が俺より年上でも年下でもどうでもいいけど」

「……はい?」

「だぁから、もういいんだっつの。精霊になりゃ関係なし。昨日、そう思った」

 外に出されてな、と小さく笑いながら嫌味を言い、でもすんなりと事が運ぶなんて思っていなかったあたしは、 ぽかんと口が開いたまま立つだけだった。赤い眼がこちらに動く。

「………ん?」 

 下から階段で乱暴に駆け上がる音がして、あたしは男の子から視線を外し、強引にドアを見る。 これ以上あの赤い眼を見てたら、いつか吸い込まれるんじゃないかと思ったんだ。 この子は、そういう眼をしている。
 ドアを開けたのは由貴だった。

「いつまで寝てんだよこのウスラハゲ……」

「……おはよ……」

「……? 何で起きてんの?」

 ありがたいことにいつも起してくれる由貴は、今日も起こしにきてくれたみたいであたしがすでに起きていたこ とに素直に驚いた。

「何でって……なんか起きちゃったから?」

「じゃ、何で突っ立ってんの?」

「……あー…今から下に行こうと思って……」

 苦しいその場限りの言い訳につっかえつっかえ、何とか由貴に納得してもらえるようなことを言ったと思う。 でも多分、かなりキョドってるように見えるだろうな……。

「ふーん。下にって、それ、持って?」

 由貴の指差す先にはペンダントがあった。勿論、あたしが右手で握りしめているものだ。

「あぁっ……いや、これは置いてこう……かなー……」

「あーもういいから。母さんうるさいから早く下行けよ!」

 そう面倒臭そうに言って、また戻ろうとする由貴はジャージすがたで、今日もまた朝練かと気付く。

「〜〜由貴、もう出るの?!」

 急いでそう声を掛けた。予想した通り、由貴はぎら、とあたしを睨み吐き捨てる。

「るっせぇんだよハーゲ!」

 ハゲでもないのにそう言われ、若干傷ついちゃったよあたし。あいや、これは神聖者に失礼かもしれないけど、 後後ろにいる男の子に由貴は案の定気付かずにリビングに戻ったらしい。ちゃっかりあたしは、この 由貴とのやり取りが楽しくて仕様がないんだな、これが。
 だけれど。由貴の階段の下りる荒々しい音を聞きながら、視線を後ろにずらしたら、ばっちりその子と合った。

「……」

「はーげ」

「……うるさい」

「へっ。……話は変わるがそういうことで精霊となった俺は“主命を奉ずる”ことにしよう」

 あまりの話の変わりように最初何を言っているのか分からなかったけど、あぁと思い出して再度視線を向けたら、 その子は笑みを浮かべたまま目をつぶり、ふつりと消えた。手中のペンダントが小さく揺れ、 沈黙がついてきた。

「……おぉ?」

 びっくりするくらい早口でそう言われて、全てが瞬時に起こった出来事のように思えた。

















 そして今、あたしはこうやって睦ちゃんと登校していて、昨日の事を言った方がいいのだろうか、 それとも言わない方がいいのだろうか迷っているんだけれど、異世界とか魔術とか、 あたしの親友はそんなものを信じる人ではない。確実におかしいと言われるのが分かりきっている。
 というのも、睦ちゃんはゲームをやらないし、ファンタジー系の小説も読まないし、某アニメ映画でノミネートされた 「ハ〇ルの〇く城」の美男子が使う魔法とナンパ術に何か知らないけどいちゃもんつけるし、 もともとサバサバした性格だからだ。

「また変な夢見たの?」

 昨日に引き続きあたしの眉間にしわが寄っていたことでそう思ったらしい睦ちゃんは、HRではなく、今そう言ってきた。 その顔には心配とも呆れたとも言えるような表情がある。

「……いや、夢は見なかった……」

 昨日は驚く程熟睡だったのだ。

「ふぅん? じゃ、何でそんな恐ろしい顔してんの?」

「そんなおっかない顔してるの、あたし……」

 してるしてる、と真顔で言ってくる睦ちゃんは本当に誰にでもこんな調子だから、 たまに命知らずだと思う時がある。

「夢じゃないんだけど、今いろいろと取り込み中なことが……というか」

「あぁ、取り込み中と言えば」

 睦ちゃんはあたしがもごもごつっかえている途中、威勢よく両手を叩いて何かを思い出した。

「昨日、彼氏の浮気現場を目撃しちゃったの!」

「……………………あ、そうなの?」

「そうなの? って、何人事みたいにー!」

 曇る空を見て人事だしなぁと思うのは仕方ない。

「あいつ、2組の笹原とキスしてたんだよっ。ほっぺじゃないよ、……んまぁ、ほっぺでも許せないけど 、マジもんのキス! あり得ない!」

 人通りの全然ない細い道だからといっても、そこまで大声でしゃべらなくても…!
  睦ちゃんは心なしか歩く速度が速くなっている。付いていくあたしは正直しんどい。

「そろそろ潮時なんじゃないかなーって思ってたんだけどー……まさか国塚から浮気するなんて 、思ってもみなかったよ」

「………ん?」

「ん?」

「……国塚君からって……え、睦ちゃん浮気する気だったの?」

「や、ほら、倦怠期? マンネリ気味でちょっとスパイスが足りないかなって……ん? ちょっとちょっと 、舞ってばそんな外道を見るような目で見ないでよ」

 見ないも何も、浮気はダメですよ睦ちゃん! この子は人生そのものがスパイスの塊だ。 そういえば、この間も浮気してふられたんじゃなかったのかなと記憶を辿ってみたけれど、 やっぱりそれもその前もそのまた前も、すべて睦ちゃんから非行を走ってふられてる気がする。 ……いや、そうだ。ふられてる。

「いくら何でもそれは駄目でしょ。睦ちゃんずっと浮気でふられてんじゃん……。 あたしはしっかりと覚えてるよ」

「やだなぁ、人をアバズレみたいに……あはは、でもとりあえず見たことは黙っておくんだ。 なんかあった時に言ってやろう」

 不敵な笑みをする隣の子は、まぁいつものことだから放っておく。 それよりもあたしは、さっきの話の続きが言いたくてしょうがない。
言って、反応を見たい。普通ならどう思うのか、聞きたかった。でも言っていいのかとも思った。 この話を言うのは、あたしにとって少し抵抗がある。そんな気がした。というのも、 さっきから言おう言おうとしているのに、口からそれが出てこないのだ。

「……………」

「あ、ちょっと待って」

 睦ちゃんはそう言って自動販売機に向かって早歩きをした。別に急がなくてもいいのに、 と内心そう思ったけど、口には出さない。あたしも自動販売機に近づきながら 、睦ちゃんの動作を特に意味もなく見る。見ながら、言おうと、重く口を開いた。

「……あのさ、……魔法、とかって……、さ」

「うん? 模倣が何?」

 ホットのレモンティーを選んだらしい睦ちゃんの手が止まった。軽く振り向き、あたしを確認する。

「……や、違う……やっぱいいや」

「あは、なんだそりゃ」

 ガコンと缶が落ち、笑いながらそれを取った。あたしも力なく笑った。






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