「舞、じゃ部活行くよ。また明日ねぇ」
「うん」
いつの間にかあたしはばいばいと言わなくなった。特に意味はない。
むっちゃんの部活が休みの時以外は、いつも一人で帰るけど、別にどうってことはない。
……というのは強気で、まぁ、欲を言えば誰かと帰りたいっていうのはあるよ。 でも、クラスに馴染んでるからってそこまで勇気がでないよ。
たかが「一緒に帰ろ」されど「一緒に帰ろ」………結構言うのって恥かしい、というよりも、気恥ずかしい? いえいえ気恥ずかしい、ですから。
だいたいほら、いくつかのグループに入っているむっちゃんとは違って、あたしはすぐクラスに打ち解けられるけど、 特定のグループに入ってるわけじゃない。
もうすぐ1年たって進級間近だから、グループが決まってくるじゃないですか。 そりゃあ、仲間はずれにされている訳じゃないけれど、何だかそういうグループに話し掛けるのって、気が引けるんだ。 だからと言って学校がつまらないわけではない。話しかけられないと言いつつ、いろいろ馴染めてそこそこ楽しんでるわけで。
でもだからこそあたしはいつも帰りが早い。 図書室も案外好きだけど、いつも行くってほどでもしないし、パソコン室だって特に行こうという気が起きないし。 しいて言えば掃除当番だって面倒とは思えない。むしろ、少しでも学校に留まれて嬉しい。
でも早く帰れちゃうんだ。
……なんだかつまらない。
……あれ、今日の掃除当番って、どこだっけ。
………あぁ、あたしじゃない。嬉しいんだか悲しいんだか、だなこれは。早く帰ってもやることないなぁ…。
またゲームでもやろうかな。……今日は何しよう。
「…………」
周りの様子を見て、クラスを出た。
教室のドアに近付くほど、周りで“バイバイ”という挨拶が飛んでくる。それにあたしは“じゃあね”と答える。 愛想なら得意だぞ。
……出来るなら、まだ教室でおしゃべりしたいけど。
「はぁ……」
情けなさにため息を一つ。いつも煩い廊下が、今日はいつもより甲高く煩く聞こえる。
「高橋!」
名前を呼ばれた気がして、つ、と立ち止まる。
「高橋、もう帰んの?」
横を向くと、効果音でキラキラとつきそうな笑顔があった。そして、話し掛けているのは木下耕介。
背が高い野球部員で、だけどがっちりした印象な。
最近よく目が合う。今日の朝も、そうだった。
「ん。いつもこのくらいの時間だよ。何?」
「今日さ、部活休みなんだ。友達が用事あるっつってたからさ、一人になっちゃって。一緒に帰らん?」
早口で一気にまくしたてられた。あたしは意外と耳が悪いのに……でも何とか言っていることを読み取れた。
耳が悪くても勘は良い方なんです。
「いーよ。野球部って今日……休みだったんだ」
「木曜日だけ」
「でもいつもあるイメージだったよ?」
何だか男子と歩くのって、恥ずかしい。木下君とはクラス一緒でも、あまり話さないし。
こうやってよく見ると、腕がっちりしてるし……ちょっとあたし、マッチョ好きかも。
……って、そういえば確かにゲームではマッチョで進めてるし……。剣には筋肉が一番似合うんだからね。 うん、そうそう。
「高橋?」
「はいはい?!」
「たった1日休みだっつっても、どうせ家で素振りの練習するし……聞いてる?」
「う、うん。……そうなんだ……」
また自分の世界に入っちゃった…!
せっかく一緒に帰ってくれてるのに、それはないだろあたし!しっかり〜ファイト〜話題をプリーズ……っっ
「高橋って部活入ってないんだ?」
「えぇっ?! あ、うん」
「何で?」
「何でって……別に」
「何か入ればいいのに。運動部」
運動部限定……? 木下君、なおもしつこく聞いてくるけど、実は本当にどうでもいいことなんです。部活は。
「あはは……入りたい所がなくて、ね」
あーたしはむっちゃんと違って運動は苦手なんだ。せめて入るなら文系の方なのに。 それで木下君は面白くなかったのか、
「ふーん?」
としか言わなかった。
―――――――
この高校は急で狭い坂と階段の上に堂々と建っている。
坂と階段の比率はおよそ6対4で車が通るには狭い坂だ。だけど昼にしか通らないから、朝と夕方は、登下校で生徒が占領できる。 高校への道はどこをくまなく探してもこの道一本しかないから、特に朝は大量の蟻のような行列が左右にも開けてとても混雑してる。
夏場は、汗で下着が見えるくらいシャツが駄目になるから替えが必要だ。 そう、蒸し暑い炎天下で、この坂をひと上りするだけで汗が大量に出るんだ。
なんて生徒殺しな坂なんだろう……。夏だけでなく、今のこの時期、冬でも上るには一苦労で、 じんわりとおでこに浮かべる程度。
新陳代謝が上がるだの、いい運動だのと先生やスポーツやってる子は爽やかに言うけど、体育の授業くらいしか運動しない、 あたしのような人だってたくさんいるのよ。
筋肉の量が違うのよ筋肉の! どれだけ苦しいのかって? そうだね、すごいよ。やばいよ。
上りきれば毎回心臓が忙しいよ。むっちゃんなんか平然としてるのに。……陸上部だからね。
ま、そんな話はおいといて、今、あたしと木下君は、下校時間が早かったからまだ生徒がぽつぽつとしかいない坂を 下っていた。正確に言えば、あたしが歩きで、木下君が自転車。
乗っているにも関わらず、ブレーキを上手くかけてて進むスピードをあたしに合わせてくれるから、感謝感謝。
木下君って意外と紳士です。
「そういえば木下君ってチャリだったね。ごめんね、私足遅いでしょ」
あの部活トークのあとしばらく無言だったから、次に何を言おうかずっと考えてた。 我ながら臆病な性格で、これを言おうと思って、今言う前に心の中で何度も何度も繰り返しぶつぶつ言ってました。
でも言って気づいたけど、これじゃなんだか否定してくださいって言ってるようなもんじゃんっ。 あたし、足遅いでしょ、なんて事実、どうフォローするべきなんですかっ。
あぁ、フォロー不可能……。
いっそゲームの話が出来れば盛り上がれるのに。木下君はRPGやりますか? いーや、絶対言えない……。
これが乙女心ってやつですか?
……いや、あたしの口から乙女心なんていう単語が出るなんておかしな話だよ。 イタイヨ。言語両断、そんなのかけらもないのに。
でも、でももし本当に木下君と今ゲームを語り合えたら……。……あぁ無理だ……。 剣と魔法の素晴らしさは、仲間しか分かりあえないことなんだ……悲しいかな、このすれ違い。
「うーん……」
あたしが心の中での死闘を繰り返してた時に、なんとまぁ木下君はちゃんと考えていらっしゃった。
「全然平気。なんなら後ろ乗せようか?」
と、自転車の後座席をぽんぽんと叩いた。
また自分の世界に入っていたあたしは、チャリをぽんぽん叩いてる木下君におおきく首と両手を振って断った。
「いいよ! 重いから!」
「でもさー、俺は高橋なら後ろ乗ってても構わないと思ってる」
「え?」
「でも高橋電車だもんなー」
「え、うん」
「家が近かったら良かったのに」
「…………」
さっきまでの長い沈黙とは打って変わって一人で話を進める木下君に圧倒されつつ、ふと、 この人は私に好意を持ってらっしゃるのかなと勘違いしそうになった。
(そ、そんなことはないはず)
いくらなんでも、生まれてこのかた告白されたこともないのにね。
「高橋てさ」
「うん?」
「……好きな人いるんだ?」
あたしの心情を見透かしたんですか……?
何でいきなりそんな事を……? と正直焦った。
こういう類の話は、クラスでわいわい聞き合うならまだしも、状況が違うよ……びっくりするでしょ……。
でも、木下君の目こそは見れなかったけど、まだ答える余裕はある。
「い、いないよ」
「ふーん」
また言った……。もしかして予想してたのかな。
「……木下君は……?」
やっぱりこう切り出されたら聞きたくなるのが人間っていうもので。 それが木下君への好意なのか焦りなのかは分からないけど、反射的に出てくる。
「俺? …………いる」
笑った。遠くを見て、目を細めて。
「そ、うなんだ。誰?」
でもやっぱり男子との恋バナも新鮮だ。キャーとかって苦手だし。
女子の話を聞いてれば、やっぱり知ることいっぱいあるけど、悪いうわさも飛び交う。 だから年を重ねるごとに今の女子高生でもいずれは近所のおばさん達のように、 井戸端会議もしょっちゅうすることになるんだろうな。
……あ、今もしてる、か。ま、とにかく木下君は今好きな人がいるってことですね。 なんだかちょっと、安心したような。
「……言わない」
「えー……教えてくれてもいいじゃないですかー」
「何で敬語になるんだよ……」
敬語になるのは癖で……って、なんか今どきっとした。弱いなぁー、こういう困った顔して笑ってるの。
乙女心というのかこういうのは……。あ、いえいえ母性本能? 木下君に想われてる子は幸せだぁ。
でも、好きな人がいるって知れば誰だか知りたくなる。あたしじゃなくてもそうだと思うよ?
「高橋はいないじゃん。出来て教えてくれたら教える」
「いないものはいないんだってば」
つられてあたしも笑ってしまう。教えて欲しさに嘘を言っても、後で困るのはあたしですし。
「……………………」
「……? ……木下君?」
学校ではかなり明るい木下君。学校では結構大人しいあたし。
苦手意識はないんだけど、やっぱりいつも笑ってる木下君を見てたからか、少し憧れを感じるんだな。
でも今は、なんだか神妙な面持ちで木下君は立ち止まっている。 ………あぁ、ずっと歩いてて気が付かなかったけど、もう駅についたんだ。
「ごめん、気が付かなかった……」
思わず謝ってしまったけど、木下君は何も言ってくれない。
「えと、……じゃあ、また今度帰ろう、ね?」
「それ本当?」
「え、あ、うん」
「そっか……」
……なんだか複雑な別れ方だなぁ、と思ったけど、いつもよりゆっくり歩いたから、 すぐ電車が来る時間になってしまった。そろそろ行かなきゃ。
出来るなら、今度は思いきってゲームの話をしてみよう。
と、少しずつ木下君から離れて手を振ってたら、今度は大声で呼び止められた。
「……〜あのさ!!」
「……え?」
思わず手を止めてしまう。
「――――――」
だけど。
木下君が口を開いた時、ちょうど左のフェンス越しに電車が来てしまった。
何かを言ってくれてるのは分かるけど、電車に遮られて途切れ途切れにしか聞こえない。
「―――……」
「え? ……聞こえない」
電車到着のアナウンスと音楽が、流れるように聞こえてくる。
「木下君」
「あぁ?」
「あの、聞こえなかったんだけど………」
なんかもう、やりきったって顔してるけど、聞こえませんでした。
「……っまじかよ……!!」
今度は大きく溜息つきながら、あたしに礼してるような体勢になった。
礼、というよりも、こう前かがみになってひざに手を当てて、疲れ果てた……て感じですか?
「えと、ごめん……」
「…はっ。謝ることないって…」
だけどなおも顔を上げてくれない。どれだけのことを言えばそれだけ落ち込めるのか、 ちょっと分からないんだけど……。謝ってしまうのは……うん、何でだろう。
「う、うん。ごめん」
ってあぁ! また謝っちゃった。恐る恐る彼を見ると、今度はなぜか笑ってる。
「また言ってらぁー……」
何とかこっちを見てくれた木下君の笑顔に、ふと心が締め付けられる感覚がした。
「あーぁ。せっかくの俺の勇気が……」
もういつも乗ってる時間の電車はすっかり忘れてるあたしは、気まずさで木下君の顔が見れない。
せっかくの勇気、とは、どれだけ重大な用事なんだろうとそれだけを考えると、 自意識過剰のようにも思われるけど、うすうす分かる。あたしが考えてるそれと木下君が言おうとしたそれがもし 違ってたら、かなり恥かしいけど。
「木下君?」
「うん?」
「………も一回、言ってくれる?」
電車のせいなんだから、聞こえなかったのはあたしのせいじゃないよねと思う。
それに、木下君の言葉の続きが聞きたくて、得意な愛想笑いを作って繰り返し言った。
「……も一回?」
木下君の反応は早かった。
「俺さ、お前のこと好きだ」
「――………」
「好きな人いないって言ってたよな。それってまだチャンスってこと?」
「えっと……」
「まだ返事はいいから。その……いや、ごめん! いきなりすぎだったよな。」
落ち着かない木下君を呆然と見てるあたしは、逆に冷静に、しかも硬直して、愛想笑いが固まったまま聞いている。
前にも言ったように、あたしは少し耳が悪い。だから、またもやその早口言葉を聞き取ることに手間取った。
木下君が言っていることが、でもあたしの勘違いなのでは、とか、否定の言葉が次々と頭をよぎる。
「あーまじ勘弁! じゃ明日!」
颯爽と自転車に乗った木下君は、そのまま翻して去って行く。
「………………」
いきなり予感的中、だなこれは。
一人寒さの中、駅の前で突っ立っているあたしは、うれしさと少しの罪悪感でいっぱいになった。
-3話- -戻- -5話-