-小さな侵入者-








 突然の出会いだった。
 こんなことがあっていいのかと、思った。
後ろを振り向いたら、そこに子供がいたのだ。
10歳くらいの、端正な顔立ちをした子。
赤毛で、赤目で、…体を覆うように深緑色した布のような服をくる巻いた、奇妙な男の子。
 その時あたしは左膝立てて、左半身をガラス戸にぴったりくっつけてその子を凝視している。 ガラス戸に体当たりした時に上げた鈍い音は、あたしの悲鳴で消えて聞こえなかった。
……それから数分、静かな時間が流れた。すごく長い時間が経っているような気がした。 時間が経てば経つほど、思いっきり高い悲鳴を上げた自分をだんだん恥じる反面、 でも何でこの子があたしの部屋にいるのかを考えていった。頭の回転を、ぐるぐるぐるぐると、 とめどなく働かせて。

「ここお前ン家なのかって聞いてるんだけど」

 目を細めて見下すように同じ事を言うその男の子は声が高く、実際、 あたしはしゃがんでしまってる訳で、確かに見下されてあたしは見上げている格好だった。 ぴったりとついてるガラス戸は、外の気温が寒いせいで肌を濡らす。 あたしの体温が高いせいなのかどうかは分からないけれど、今、その冷たさはまるで感じなかった。

「聞こえてます? ……そうか、お前障害持ってんのか……」

「……っあ、あたしの、家…っというか、部屋、ですけど……」

 その子を凝視した時から、言葉がのどにつっかえてでてこなかった。 言葉自体、忘れてしまったかのように、頭ではいろいろ考えることは出来たけど、いざ言おうとなると、何も言えない。 それでも何とか前よりは冷静になれたというか、その子が考え込むように手であごを撫でたとき、 ふっと体の緊張が解けて、話せた。ちょっとびっくりしただけなんだよ、本当。
頭と、片手と、黒い靴が見えるだけで、あとは左肩にある赤銅色の紋章の飾りで、服を留めている。 それでもやっぱり目が行くのは、鮮やかにウェーブのかかったセミロングの赤い髪の毛と、目。 ふと、地毛なんだろうか、と考えてしまう。
 そして、あたしがこんなにもじろじろ見ながらしどろもどろに答えたというのに、 その子は全く気にもしない様子であたしを見ていた。

「そ。じゃあ所有権はお前か……。弱そうだけど……まぁいいや」

 ぶつぶつと、でもはっきり、そう言った。

「……あの…………」

 体は硬直したまま、動かない。というよりも、動けなかった。
所有権だとか弱そうだとか、意味の分からないことよりも、どうしてあたしの部屋に、しかも勝手にいるのか。 もとよりこんな子供を全く知らないのだ。

「君、……誰?」

「俺? 誰って言われても……お前じゃ分かんねぇっつーか、空間飛んできたっつーか、飛ばされたっつーか……」

 小学校高学年くらいの年のその子の目は赤い上につり上がってるものだから、無表情で見られたら、 いくらこの子が子供でも少し…ほんの少しだけだけど、怖い。
でも恐ろしいことに、こう一人でもんもんと考えてる姿は可愛いなぁ、と、つい、思ってしまう。
………またそこがあたしのバカなところだと自覚はしてるけど…。でも小さい子には〈目がない〉のだ。 それは、仕方のないこと、……と自分の世界に入ろうとする意識を振って、 前で独り言を言っているその言葉に耳を傾ける。

「とにかく、ここが何処なのかが分かればそれでいいんだ。そうすりゃ帰れるかもしれねぇし」

「……帰るって何処に?」

「ん? 俺の世界」







………………。






 ……世界…………? 







 はて、とあたしは考えた。謎がもう一つ増えた。
世界とは? ……この地球のこと? ……日本のこと? 



……俺の世界?



 あ、自分の家のことを言ってるの? それとも他になにかあるの?
  こんな風に頭の中に疑問が湧きあがる。返事を言うのにかなり時間がかかったかもしれない、と思う。
実際あたしはバカだから、考えるのにもカメが歩く時間と比例する。 “俺の世界”というのが、果たしていったい何のことを言っているのか……。

そして、どうもつかめないこの子をあたしは勝手に迷子と断定して、話を進めた。その方が頭の整理がついたから。

「君、分かる? 迷子になったんだよね、……あたしの家で……」

 どうやって入ったのか分からない。というか、家の中で迷子というのもおかしいけど、 もしかしたらお母さんとかお父さんとかが実は内緒で連れてきただけよーとか、あとでびっくりさせようとか、 そういうことなんじゃないか? またホームスティの類かもしれないだろうし。
 あたしは一呼吸おいて、その子に話し掛けた。

「あ、でも日本語言えてるよね。どこの国から来たのかな?」

 すっと緊張がほぐれて、その子と向き直り、いつものように子供をなだめる口調でそう言った。
ほぐれたのは、確証のないこの子の危険のなさが理由の大体を占めていた。見た目は独特だけれど、 しかも話もよく分からないけれど、でもこの子の態度……のほほんと構えてるこの姿勢に、ふと緊張がとれた。 そしてたいていの子供は、こっちが優しくすればすんなり心を開いてくれるものなのだ。
ついでの話になるけれど、家の近くに保育園があって、そこの子達とはこの方法でずいぶんと仲良くなった。
 それにしても……。と、あたしはガラス戸から離した手のひらや膝に目を落とした。
そしてそこからじんわりと熱の波紋が広がったように、熱くなるのを感じた。 動転していたせいで、今まで冷たいという感覚がなかった分、 急にそれが来たように思えたからすこしびっくりする。
 だけどあたしはさらにこの目の前の子の口調に驚いてしまった。

「子供じゃねぇよ。ナメられたもんだな俺も」

「…………は?」

「……それに国だと? 大体住む世界が違うっつってんだろ。 時空が違うんだっつの」

……声変わり前の高い声で、そう言われた。

「……………時空……」

「時空! 俺は空間を飛ばされたんだよ! そして戻りたい。…ったく、こんな単純な話も通じないとは……」

「あ、ちょっと待ってよ」

「は?」

「今馬鹿にしたでしょ。子供のくせに生意気なこと言うもんじゃないよ」

 溜息まじりに吐いたそれを聞いたあたしは、さっきの優しい口調とは打って変わって男の子と対立した。
もちろん、立ち上がって。これはもしかしたら大人気ないのかもしれない。あたしもまだ子供だし。
でも、見たまんまの姿で子供じゃないとか言う子供は、 背伸ばしするおませさんかもしくは早めの反抗期を迎えた子なんだとあたしは断定したい!
普通ならそんなことスルーするところだけれどあたしはこだわりを持ってそう言う!
 自宅で子供のための料理教室を開いたり英語教室を開いたり、 外国からのホームステイを快諾したりする母を持つ家の事情柄、あたしの家族は子供との 接点がどうしても他の人より多いので、子供に対しての免疫が強い分、心の隅では少し疎ましく思ったりもする。
そんなわけで、今目の前にいる子に対しても、うちに来る顔見知りの子供らと同じ扱いをしてしまうのだ。

「だぁから子供じゃねぇっつってんだろ。俺の方がとしう……っ」

「舞ちゃーん? ネックレスはどうなってるのー?」

 はたっと言葉を飲み込んだ赤毛の子。同様に、あたしも口をつぐんだ。
あたしは、お母さんにネックレスを見せようと思って部屋に戻ったのに、つい忘れてしまっていた。

「ネックレス、あった?」

 通常と変わりないぽやっとした顔で部屋に入るお母さんにあたしはさらに驚いた。何に驚いたのかというと、つまりその、アレだ。
「…………お母さん? あの…」

「見つからないの?」

「…いや、そうじゃなくて、そのー……」

「何よ?」

 ここは何て言うべきなのか、でもどんな言葉で伝えるのが一番いいのか…。 瞬時に思いつかない程度に混乱した。お母さんはこの目立つ男の子……見えてないの……?

「俺はお前にしか見えない」

「……!」

 いつの間にかあたしの横で立っていた赤毛の子が、小声で話すこともなく、そう堂々と言った。 それに焦ってしまったけれど、お母さんは全く声も聞こえないらしい。

「俺に話し掛けるなよ? 不審がられるのはお前だけだから」

 その言い方に少しむっときたけれど、確かにそうだ、と思いとどまる。 あたしがこの子に今話し掛けたところで、お母さんから見ればあたしが一人でしゃべってるように見えてしまうんだ、と。 それは、嫌だ……。想像するだけでもう目に見える。
…いわば変人確定だ……。
……ふと、その子から向かいのベッドに伸びている、細く光る糸が見えた。
その先にあったのは掛け布団が邪魔で全体は見えなかったけど、 それは紛れもなくあたしが探していた巨悪の根源でもある、あのネックレスだった。

「……あった。お母さん、後ろのベッド…」

 あたしはそう言って、ゆっくりと指で指した。この男の子が見えないってことは、 そのネックレスが光ってるのも見えないって、ことだよね。 光ってるって言ってもネックレスが光ってるんじゃなくて、 男の子とネックレスを繋いだ『糸』と『膜』が光ってるってことなんだけど。
 案の定、お母さんは普通に後ろを向いてネックレスを手に取った。

「これのこと? ……これ、ネックレスと言うには大きすぎるわね。むしろペンダントじゃないかしら」

「ペンダント?」

「そう。でもペンダントにしても大きいわね…」

「やっぱ大きいんだ」

 あたしは苦笑まじりにペンダントを見つめた。
そうしてお母さんはそのずっしりと重みのある大きなそれを、じっと覗き込んだまま、動かなくなった。

「……………」

「………」

「………………………」

「…………お母さん?」

「うん?」

「違うの?」

「…………うーん…。お母さんのじゃないわね」

「そっか……」

 そう分かったんなら早く言って欲しいのにと心の中で思ったけれど、あえて言わずにそのままにした。 でも確かに、男の子が見えるネック…じゃなかった、ペンダントなんてお母さんが持ってたとしたら、かなり怪しい……。 おかしすぎる。

「とりあえず舞ちゃん、もらっときなさいよ」

 今度は軽く沈黙が続いた頃に、お母さんがそう言った。

「…えー……」

 まず最初に思ったのは、きっと後ろにいるであろう男の子のことだ。
ペンダントと繋がってる、恐らく、いや、かなりの確立で、むしろ絶対的に人間じゃないと思えるこの男の子をどうするべきか、 と真剣に考えてしまった。
その次に、こんな大きなもの付けて歩くなんて恥ずかしいと思って、少し反論した。 手に収まるくらいだけど、重いし、首が筋肉痛になってしまうでしょ。

「家にあったんだから、グランマのかもね」

「…グランマねぇ………」 

 グランマと聞いて、あたしはこの間イギリスから従兄妹を連れて遊びにきたお婆ちゃんを思い出した。
あたしはおばあちゃんのことをグランマと呼ぶ。ちなみにグランマとはお婆ちゃんという意味の英語を略したもの。
 まぁそんなことはどうでもいいとして、それもまた変な話だと思う。 これがもし本当にグランマのペンダントだったら、隣のこの子は……。


「…じゃあ返さなくちゃ」

「何言ってんの、もらっちゃいなさい」

 ふざけたこというんじゃないわよと言うような口ぶりで言う。

「……え? いいの?」

「いいも何も、グランマなら舞ちゃんにあげてるわよ、それ」

 絶対にそうよ、と念を押されたけれど、実際にグランマのかどうかも怪しいのにそんなんでいいんだろうか。 そう思ってもう一度男の子をちらっと見る。
…相変わらず仏頂面でじっとあたしを見ていた。その、赤い目で。見られてると思うと少し気まずい。 ……というか、もらえって、目が言ってる気がする……。
ペンダントはあたしの手のひらで、ずっしりと光っているだけだったけど、 なんだか年代物のような気もしてきたので気負いして、もちろん男の子のこともあって、……もらうことにした。

「じゃあお母さん戻るけど、ちゃんと宿題やるのよ?」

 うんと頷いた後になって、いつのまにか踵を返して部屋を出ようとするお母さんを、あたしは止めた。

「でもさっ、もし本当にグランマのだったらさ、やっぱり困るよね。言っておいた方が…」

 ペンダントを持ったまま降ろしていた腰を上げて、腕組みしているお母さんに近づく。 相変わらずペンダントから変な糸が光って出てるけど、もしこれがお婆ちゃんのだったらと思うと、 少し不安になる。

「じゃあ、電話してみればいいんじゃないの?」

「電話………うん、電話したい」

 ずいとそう言ったあたしは、ペンダントをベッドの上に投げてお母さんと部屋を出た。









 部屋を出た足でそのまま、あたしはリビングへ直行した。
ずんずんと勢いよく電話に手を伸ばし、暗記している電話番号を、急いで押す。手が少し、震えたけど。

『Oh舞子、久しぶり。元気だった?』

 日本人のおじいちゃんと結婚したグランマは、あたしが生まれる前から日本語が上手だった。
といっても、お母さんが子供だったころはカタコトだったみたいだけど。 今は結婚する前に住んでいたというイギリスの実家で、おじいちゃんと二人暮しをしている。 昔からの優しい声が今でも大好きで、その久しぶりに聞いた声に、あたしは和んだ。

「元気だよ。グランマは?」

 笑い声とともに元気よ、と言われた。
最近地元の病院で入院したというグランマを心配していたこっちの家族は、 お母さんが前もって電話して安心だと分かっていたけど、それでも心配していたから安堵した。

「グランマ、あたしの家にペンダントがあるんだけど、グランマが帰るとき、忘れて行ったんじゃないかな」

『どういうペンダントなの?』

「赤い宝石がはめ込まれてる、大きいペンダント。すごく重いの」

 そう言って、それからずっと無言のグランマの反応を待つ。

『グランマはそういうペンダントは持てないよ。舞子に会う時にネックレスは持っていかなかった』

「じゃあ、違うのかな」

『May be.』

 そう聞いたとき、あたしの中ですこし心が重くなった。グランマのじゃないとしたら、あれはいったい誰のものなのか、 なんでベランダに引っかかっていたのか……――


「…分かったよ、ありがとう」

『ううん、電話してくれてありがとう』

 電話の向こうから、おじいちゃんの声が聞こえた。聞き取れなかったけど。

「また電話するから。ばいばい」

『またね』

 がちゃり、と受話器を元に収め、溜息をつく。

「グランマ、なんだって?」

 同じリビングであたしの声だけを聞いていたお母さんは、とりあえず結果を知りたがっていた。

「うん、元気だった」

「元気なのは分かってるわよ。ペンダントは?」

 おとといもお母さんとグランマは国際電話で話しをしていたからお互い元気なことくらい分かっていたけれど、 話をそらすためにわざとそう言った。 だけれど知りたがりのお母さんはそうそう許してはくれない。

「……ペンダント…グランマのだってさ」

 つい、こう言ったのだ。本当は違うって言うべきだったんだけど、そう言う直前に口の中で言葉がすり返られた。 そして言ってから、グランマのペンダント、とはいったいどれよ?  と自問したくらいおかしなことを言ってしまった感じがした。
でもとっさに言ってしまったとしても、この方が自然、のように思えるんだ。

「……そう、やっぱりね。じゃあグランマは舞ちゃんにあげるって言ったのね?」

「いや、別に」

「でももらっときなさいね」

「………………」

「まさかまだ送ろうとか思ってるの?」

……あぁ分かった。
何でそんなにもらっとけってうるさいのか。イギリスに荷物を送るのって、高いのよね。 主婦魂がここに潜まれていたなんて、全く考えもしなかったよ……。

「…じゃあ、もらっときますよ……」

「ん。よろしい」

「はいはい」 

「“はい”は一回!」

「は〜い」

そう言って、わだかまりを感じながらも部屋に戻ったあたしは、さっそく赤い目とばっちり合った。
忘れてた訳じゃないけど、少し、存在忘れてた。








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